ポジティブ大全Positive Compendium

📜 世界の名言集

古今東西の思想家が、よりよく生きることについて残した言葉を集めました。それぞれに、ポジティブ心理学の視点からの短い補足を添えています。現在 152篇(順次追加)。

この名言集について

収録しているのは、著作権の保護期間が終了した歴史上の人物の言葉で、出典が特定できるものだけです。出所のはっきりしない「名言」や、後世の誤った帰属が知られているものは載せていません。訳文は本サイトによるものです。TOPページでは、この中から毎日ひとつを「今日の名言」として表示しています。

孔子前551–前479

学んで、折にふれて復習する。なんと喜ばしいことではないか。

学而時習之、不亦説乎

— 孔子『論語』学而篇

学ぶこと知識を得た瞬間より、繰り返し戻る過程に喜びを見ています。習慣が満足感を生むという見方と重なります。

自分が望まないことを、人に向けてはならない。

己所不欲、勿施於人

— 孔子『論語』衛霊公篇

人との関わり相手の立場から考える視点は、良好な関係を支える基本として今も語られます。

知っている人は、好む人に及ばない。好む人は、楽しむ人に及ばない。

知之者不如好之者、好之者不如楽之者

— 孔子『論語』雍也篇

没頭義務ではなく楽しさから動くとき、人は深く没頭する。フロー研究の関心と響き合います。

三人で歩けば、その中に必ず自分の師がいる。

三人行、必有我師焉

— 孔子『論語』述而篇

学ぶこと誰からでも学べるという構えは、能力は伸ばせるという信念の話とも重なります。

過ちを改めないこと、それこそが過ちである。

過而不改、是謂過矣

— 孔子『論語』衛霊公篇

立て直す失敗そのものではなく、その後をどうするかに目を向けています。

人が自分を知ってくれないことを憂えず、自分が人を知らないことを憂えよ。

不患人之不己知、患不知人也

— 孔子『論語』学而篇

人との関わり評価されない不安から、相手を理解する側へ視点を移す言葉です。

徳のある人は孤立しない。必ず隣に人がいる。

徳不孤、必有隣

— 孔子『論語』里仁篇

つながり日々のふるまいが、めぐりめぐって支えを呼ぶ。関係性の資源という考え方に通じます。

山を築くようなもの。あと一もっこというところでやめれば、それは自分がやめたのだ。

譬如為山、未成一簣、止吾止也

— 孔子『論語』子罕篇

続けること続ける力の話ですが、やめる自由も自分にあると認めている点が誠実です。

学んでも考えなければ、はっきりしない。考えても学ばなければ、危うい。

学而不思則罔、思而不学則殆

— 孔子『論語』為政篇

学ぶこと取り入れることと考えることを両輪に置いています。学びが実感に変わる条件の話として読めます。

君子は調和するが、同じにはならない。小人は同じになるが、調和しない。

君子和而不同、小人同而不和

— 孔子『論語』子路篇

人との関わり違いを消さずに折り合う姿勢。安心して意見を出せる場の条件とも重なって見えます。

知恵ある人は迷わず、思いやりある人は憂えず、勇気ある人は恐れない。

知者不惑、仁者不憂、勇者不懼

— 孔子『論語』子罕篇

あり方複数の徳を並べて人を描いています。強みを一つに絞らない見方に近いところがあります。

寒くなってはじめて、松や柏が枯れずに残ることがわかる。

歳寒、然後知松柏之後彫也

— 孔子『論語』子罕篇

立て直す困難な時期にこそ現れる粘り強さがある、という見方。回復の力を語る際にも引かれます。

夢中になって食事を忘れ、楽しんで憂いを忘れ、老いが来ることにも気づかない。

発憤忘食、楽以忘憂、不知老之将至

— 孔子『論語』述而篇

没頭時間の感覚が薄れるほど没入する経験の描写。フローの説明としてしばしば引かれます。

曾子(『論語』の記述)前505–前435

日に三度、わが身を省みる。

吾日三省吾身

— 曾子(『論語』の記述)『論語』学而篇

ふりかえる一日を振り返る習慣は、現代の日記研究でも自己理解の方法として扱われています。

老子生没年不詳(前6〜前4世紀頃)

人を知る者は智といい、自らを知る者を明という。

知人者智、自知者明

— 老子『老子』第33章

自己理解他人を見抜く力より、自分を見る力を上に置いています。自己理解の出発点です。

千里の道も、足もとの一歩から始まる。

千里之行、始於足下

— 老子『老子』第64章

小さな一歩大きな目標を小さく分けることは、行動を始めやすくする方法として知られています。

最上の善は水のようだ。水は万物を利しながら、争わない。

上善若水

— 老子『老子』第8章

あり方強く押し通すことだけが力ではない、という別の強さの形を示しています。

足るを知る者は富む。

知足者富

— 老子『老子』第33章

満ち足りる得た量ではなく感じ方に目を向ける点は、幸福感の研究の関心とも重なります。

大きな器は、できあがるまでに時間がかかる。

大器晩成

— 老子『老子』第41章

育つ時間仕上がりの遅さを欠点と見ない視点。伸びる余地を前提にする考え方と重なります。

世に水より柔らかいものはない。だが堅く強いものを攻めるとき、水に勝るものはない。

天下莫柔弱於水、而攻堅強者莫之能勝

— 老子『老子』第78章

あり方しなやかさを弱さと切り離しています。折れずに戻る力の比喩として読めます。

人に勝つ者は力があり、自分に勝つ者こそ強い。

勝人者有力、自勝者強

— 老子『老子』第33章

強さとは強さの基準を他人との比較から自分の内側へ移しています。自己調整の話として読めます。

荘子前369頃–前286頃

井戸の蛙に、海を語ることはできない。狭い場所に縛られているからだ。

井蛙不可以語於海者、拘於虚也

— 荘子『荘子』秋水篇

ものの見方自分の枠の外があると知ることは、見方を広げる第一歩になります。

わたしの生には限りがあるが、知には限りがない。

吾生也有涯、而知也無涯

— 荘子『荘子』養生主篇

学ぶことすべてを知ろうとしない、という節度の話でもあります。

すぐれた人の心の使い方は、鏡のようだ。送りもせず、迎えもせず、映して留めない。

至人之用心若鏡、不将不迎、応而不蔵

— 荘子『荘子』応帝王篇

いまここ来たものを映し、抱え込まない構え。気づきの実践で語られる態度に近いものがあります。

夢で蝶になった。目覚めて、自分が蝶を夢に見たのか、蝶が自分を夢に見ているのかわからない。

不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与

— 荘子『荘子』斉物論篇

ものの見方「これが唯一の見方だ」という確信をゆるめる話。視野を広げる余地を残してくれます。

ソクラテス(プラトンの記述)前470頃–前399

吟味されることのない生は、人にとって生きるに値しない。

ὁ δὲ ἀνεξέταστος βίος οὐ βιωτὸς ἀνθρώπῳ

— ソクラテス(プラトンの記述)プラトン『ソクラテスの弁明』38a

自己理解問い直すことを人生の中心に置いた言葉。自己理解を学びの土台とする姿勢に通じます。

アリストテレス前384–前322

幸福とは、徳にかなった魂の活動である。
— アリストテレス『ニコマコス倫理学』第1巻

幸福とは幸福を「感情」ではなく「活動」と捉えた点は、現代のウェルビーイング論にも受け継がれています。

徳は、生まれつきではなく、習慣によって身につく。
— アリストテレス『ニコマコス倫理学』第2巻

習慣性格は繰り返しによって形づくられるという見方。強みを育てる発想と重なります。

徳は、過剰と不足のあいだにある中間を選ぶことにある。
— アリストテレス『ニコマコス倫理学』第2巻

節度強みも使いすぎれば裏目に出る、という現代の議論の遠い源流にあたります。

友とは、もう一人の自分である。
— アリストテレス『ニコマコス倫理学』第9巻

つながり良い関係が自分の一部になるという見方は、支えの研究とも響き合います。

人はその本性において、共同体をつくる生きものである。
— アリストテレス『政治学』第1巻

つながりつながりは付け足しではなく前提だという立場。関係性はウェルビーイングの中核要素とされます。

始まりは、全体の半分以上を占める。
— アリストテレス『ニコマコス倫理学』第1巻

小さな一歩取りかかること自体が大きな仕事である、という実感に近い言葉です。

エピクテトス55頃–135頃

人を乱すのは出来事そのものではなく、出来事についての考えである。
— エピクテトス『提要』第5章

ものの見方認知行動的な考え方の源流としてしばしば引かれる一節です。

わたしたち次第のものと、そうでないものがある。
— エピクテトス『提要』第1章

分けて考えるコントロールできることに力を注ぐ発想は、立て直しの実践でもよく使われます。

物事が自分の望むとおりに起こることを求めるな。起こるとおりに起こることを望め。
— エピクテトス『提要』第8章

受けとめる諦めではなく、変えられない事実と争わないという構えです。

どんな事柄にも取っ手が二つある。運べる方の取っ手をつかみなさい。
— エピクテトス『提要』第43章

ものの見方同じ出来事に別の持ち方があるという比喩。とらえ直しの練習によく引かれます。

セネカ前4頃–65

わたしたちは現実よりも、想像の中でより多く苦しんでいる。
— セネカ『倫理書簡集』第13書簡

不安との付き合い起きていないことへの心配が苦しみを生むという指摘。今日の不安研究にも通じます。

人生は短くない。わたしたちが多くを浪費しているのだ。
— セネカ『人生の短さについて』第1章

時間時間の長さより使い方に目を向けます。何に時間を向けるかは意味の感覚と関わります。

どの港を目指すか知らない者にとって、どんな風も順風ではない。
— セネカ『倫理書簡集』第71書簡

方向を決める目標の有無が行動の意味を変えるという、目標研究の関心と重なります。

生きることは、生涯をかけて学ぶことである。
— セネカ『倫理書簡集』第76書簡

学ぶこと学びに終わりを設けない構え。能力は変わりうるという見方に近いものがあります。

どこにでもいる人は、どこにもいない。
— セネカ『倫理書簡集』第2書簡

いまここ注意が散らばると、どの経験も薄くなる。注意の向け方の話として読めます。

わたしたちのものと言えるのは、時間だけである。
— セネカ『倫理書簡集』第1書簡

時間手放しやすい資源だからこそ注意を向けよ、という促し。何に時間を使うかという問いです。

マルクス・アウレリウス121–180

人は田舎や海辺に退く場所を求めるが、いつでも自分自身の内に退くことができる。
— マルクス・アウレリウス『自省録』第4巻

休むこと環境を変えられないときでも、内側に戻る場所はある、という視点です。

魂は、思考の色に染まる。
— マルクス・アウレリウス『自省録』第5巻

ものの見方何を繰り返し考えるかが心の状態をつくるという見方です。

外のものに苦しめられているなら、苦しめているのはそれ自体ではなく、それについてのあなたの判断である。
— マルクス・アウレリウス『自省録』第8巻

ものの見方出来事と解釈を分ける発想は、立て直しのワークでもよく使われます。

最良の仕返しは、相手と同じようにならないことである。
— マルクス・アウレリウス『自省録』第6巻

人との関わり怒りへの応じ方を自分で選ぶ、という主体性の話でもあります。

人が失うのは、いま生きているこの瞬間だけである。
— マルクス・アウレリウス『自省録』第2巻

いまここ過去も未来も手の中にはない、という整理。注意を現在に戻す助けになる一節です。

キケロ前106–前43

感謝は最大の徳であるだけでなく、他のすべての徳を生む親である。
— キケロ『プランキウス弁護』

感謝感謝を他の善さの土台と見る古い視点。感謝研究の関心とも重なります。

友情は、幸福なことをより輝かせ、不幸を分け合うことで軽くする。
— キケロ『友情について』

つながり喜びも痛みも分かち合う機能に触れています。支えのはたらきを二方向で描いた例です。

老いに対する最良の武器は、諸々の徳を身につけ、行ってきたことである。
— キケロ『老年について』

年を重ねる年齢を嘆く代わりに、積み上げたあり方を頼りにします。強みを育てる発想に近い視点です。

パスカル1623–1662

人間は考える葦である。自然の中で最も弱いが、考える葦である。

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature; mais c'est un roseau pensant.

— パスカル『パンセ』断章347

人間観弱さと尊さを同時に見る視点。弱さを否定しない姿勢は本サイトの立場とも重なります。

人間の不幸はすべて、部屋にひとりで静かに座っていられないことから来る。
— パスカル『パンセ』断章139

いまここ気を紛らわすことから離れる時間の意味。今日の静けさの実践に通じます。

心には、理性の知らない理性がある。

Le cœur a ses raisons que la raison ne connaît point.

— パスカル『パンセ』断章277

感情感情にも筋道があると認めています。感情を理性の敵にしない見方の古い表現です。

モンテーニュ1533–1592

世界で最も偉大なことは、自分が自分であることを知っていることだ。
— モンテーニュ『エセー』第1巻

自己理解他人になろうとせず、自分を知ることを最上に置いた言葉です。

人生を楽しむには、技術がいる。
— モンテーニュ『エセー』第3巻13章

味わう楽しむことは才能ではなく身につけられるもの、という見方です。

エマソン1803–1882

自分を信じよ。すべての心は、その鉄の弦に共鳴する。

Trust thyself: every heart vibrates to that iron string.

— エマソン『自己信頼』

自分を信じる自分の感覚を手がかりにする構え。できるという感覚をめぐる議論とも重なります。

自分を信頼することが、成功の第一の秘訣である。

Self-trust is the first secret of success.

— エマソン『社会と孤独』所収「成功」

自分を信じる信頼は結果ではなく出発点に置かれています。自己効力感の考え方に近い視点です。

ソロー1817–1862

人が意識的な努力によって自分の人生を高められること。これ以上に励みになる事実を、わたしは知らない。
— ソロー『ウォールデン 森の生活』

変えられること変えられる部分があるという確信は、行動を始める支えになります。

わたしが森へ行ったのは、意識して生きたかったからだ。

I went to the woods because I wished to live deliberately.

— ソロー『ウォールデン 森の生活』

いまここ何となく過ぎていく日々に、意識を戻すという選択の話です。

ある人が仲間と歩調が合わないなら、それは違う太鼓の音を聞いているからだろう。

If a man does not keep pace with his companions, perhaps it is because he hears a different drummer.

— ソロー『ウォールデン 森の生活』

自分らしさずれを欠陥として扱いません。自分の基準で歩くことを認める言葉として読めます。

簡素に、簡素に、簡素に。用件は二つか三つにとどめよ。

Simplify, simplify.

— ソロー『ウォールデン 森の生活』

節度減らすことを積極的な選択として置きます。手を広げすぎない設計の話として読めます。

ウィリアム・ジェームズ1842–1910

習慣は、社会をつくる巨大なはずみ車である。

Habit is the enormous fly-wheel of society.

— ウィリアム・ジェームズ『心理学原理』第4章「習慣」

習慣意志より習慣が日々を決めるという指摘。小さな行動の設計が重視される理由です。

わたしの経験とは、わたしが注意を向けることに同意したもののことである。

My experience is what I agree to attend to.

— ウィリアム・ジェームズ『心理学原理』第11章「注意」

いまここ経験の中身を注意が決めるという指摘。何に目を向けるかという実践の土台にあたります。

行動は感情のあとに続くように見えるが、実際には行動と感情は一緒に進む。

Action seems to follow feeling, but really action and feeling go together.

— ウィリアム・ジェームズ『心理学』第24章「情動」

行動する気分が整うのを待たずに動く道があるという見方。行動から始める工夫の根拠にされてきました。

ロングフェロー1807–1882

どんな人生にも、いくらかの雨は降るものだ。

Into each life some rain must fall.

— ロングフェロー詩『雨の日』

受けとめる雨の日を消そうとせず、あるものとして数える。感情を抑圧しない立場と重なります。

トルストイ1828–1910

幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭には、それぞれの不幸の形がある。
— トルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭

人との関わりうまくいく条件は重なり、つまずき方は個別。だから他人と比べにくいのです。

福沢諭吉1835–1901

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。
— 福沢諭吉『学問のすゝめ』初編

人としての土台比較で自分の価値を測らないための、古典的な出発点として読めます。

学問とは、ただ難しい字を知ることではない。日々の役に立つ実学である。
— 福沢諭吉『学問のすゝめ』初編

学ぶこと知識を生活に接続する姿勢。本サイトが実践を添えている理由と重なります。

一人ひとりが独り立ちしてこそ、国もまた独り立ちする。
— 福沢諭吉『学問のすゝめ』三編

自立個人の自立を社会の土台に置いています。自分で決める感覚を重んじる議論とも重なります。

二宮尊徳1787–1856

小を積みて、大と為す。

積小為大

— 二宮尊徳『二宮翁夜話』

小さな一歩小さな行動の蓄積を重んじる思想。習慣づくりの考え方に通じます。

夏目漱石1867–1916

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。とかくに人の世は住みにくい。
— 夏目漱石『草枕』冒頭

人との関わり生きづらさを認めるところから始める。無理に前向きにしない態度と重なります。

自己の本領を発揮するよりほかに、わたしの生きる道はない。
— 夏目漱石講演『私の個人主義』

自分らしさ自分の持ち場を見つけるという発想。強みを活かす考え方に近いものがあります。

新渡戸稲造1862–1933

知・情・意。この三つがそろって、人の徳はかたちを成す。
— 新渡戸稲造『修養』

あり方知性・感情・意志を分けずに育てるという見方。強みを総合的に捉える発想に近いです。

孟子前372頃–前289頃

いたましく思う心は、思いやりの芽である。

惻隠之心、仁之端也

— 孟子『孟子』公孫丑上

思いやり完成した徳ではなく「芽」と呼んでいます。育てうるものとして扱う点が示唆的です。

すぐれた人とは、赤ん坊の心を失わない人のことである。

大人者、不失其赤子之心者也

— 孟子『孟子』離婁下

あり方素直さを未熟さと見ない立場。ありのままの自分を受け入れる話とも響き合います。

学問の道はほかでもない。散らばった心を、探して取り戻すだけのことだ。

学問之道無他、求其放心而已矣

— 孟子『孟子』告子上

いまここ学びを、離れていった注意を連れ戻す作業として描いています。注意の練習に近い理解です。

荀子前313頃–前238頃

青色は藍から取り出されるが、藍よりも青い。

青取之於藍、而青於藍

— 荀子『荀子』勧学篇

学ぶこと学びによって出発点を越えうるという見方。能力は変わりうるという考えに通じます。

聞くよりは見るがよく、見るよりは知るがよく、知るよりは行うがよい。

聞之不若見之、見之不若知之、知之不若行之

— 荀子『荀子』儒效篇

行動する理解を行動まで運ぶ道筋を段階で示しています。学びを実践に接続する発想と重なります。

韓非子前280頃–前233

巧みな偽りは、拙くとも誠実であることに及ばない。

巧詐不如拙誠

— 韓非子『韓非子』説林上

あり方うまくやることより正直さを上に置いています。誠実さを強みの一つと見る立場に近いです。

『大学』(湯の盤の銘)成立は前3〜前2世紀頃

まことに日々新しくあれ。日ごとに新しく、また日ごとに新しく。

苟日新、日日新、又日新

— 『大学』(湯の盤の銘)『大学』伝二章

習慣一度の決意ではなく毎日の更新を説きます。小さく繰り返す設計の考え方に近いものです。

洪自誠生没年不詳(明代・16〜17世紀)

風がまばらな竹林を過ぎる。風が去れば、竹は音を留めない。

風来疎竹、風過而竹不留声

— 洪自誠『菜根譚』前集

手放す出来事は通り過ぎるもの、と置いています。感情を追い払わず、居座らせもしない構えです。

人の小さな過ちを責めず、人の隠しごとを暴かず、人の昔の悪を思い出さない。

不責人小過、不発人陰私、不念人旧悪

— 洪自誠『菜根譚』前集

人との関わり関係を長持ちさせる具体的な三つの禁止。安心できる場をつくる作法として読めます。

王陽明1472–1529

知ることは行いの始まりであり、行うことは知の完成である。

知是行之始、行是知之成

— 王陽明『伝習録』

行動する知と行を切り離さない立場。理解を小さな実践に移す考え方と重なります。

陶淵明365–427

さあ帰ろう。故郷の田園が荒れようとしている。どうして帰らずにいられよう。

帰去来兮、田園将蕪胡不帰

— 陶淵明『帰去来辞』

立ち止まる進み続けることをやめて戻る選択を描きます。降りる決断も生き方の一つと示す例です。

李白701–762

天がこの身に才を生んだからには、それが役立つ場が必ずある。

天生我材必有用

— 李白『将進酒』

強み誰にでも活きる場面があるという見方。持ち味を発揮する場を探す発想と重なります。

鴨長明1155頃–1216

ゆく河の流れは絶えることがなく、しかも、もとの水ではない。
— 鴨長明『方丈記』冒頭

移ろい変わり続けることを前提に置いた書き出し。移ろいを嘆きだけで終わらせていません。

吉田兼好1283頃–1352頃

芸を身につけようとする人が、うまくなるまで人に知られまいとするのは、よくない。
— 吉田兼好『徒然草』第百五十段

学ぶこと下手なうちから人前に出る人が上達する、という観察。失敗を学びに変える見方に近いです。

花は満開のときだけ、月はかげりのないときだけを見るものだろうか。
— 吉田兼好『徒然草』第百三十七段

味わう最高の状態でなくても味わえる、という視点。日常の小さな体験を丁寧に扱う話です。

今日はあれをしようと思っていても、思いがけない急ぎ事が先に来て、日は過ぎていく。
— 吉田兼好『徒然草』第百八十九段

受けとめる予定どおりに進まないのが常だと認めています。計画の崩れを失敗と見ない構えです。

弓を習う人よ、二本の矢を持ってはならない。二本目をあてにする心が、一本目をおろそかにする。
— 吉田兼好『徒然草』第九十二段

いまここ先の保険が今の集中を薄めるという指摘。注意をどこに置くかという話として読めます。

世阿弥1363頃–1443頃

是非の初心を忘れてはならない。時々の初心を忘れてはならない。老後の初心を忘れてはならない。
— 世阿弥『花鏡』

学ぶこと初心を一度きりでなく生涯に何度も置いています。学び続ける姿勢の古い定式です。

秘するから花になる。秘さなければ花にならない。
— 世阿弥『風姿花伝』別紙口伝

あり方すべてを見せることが良さとは限らない、という技芸論。自己開示の加減の話にも読めます。

道元1200–1253

仏の道を学ぶとは自分を学ぶことであり、自分を学ぶとは自分を忘れることである。
— 道元『正法眼蔵』現成公案

自己理解自分を見つめた先に、自分へのこだわりが薄れる。気づきの実践と近い順序を語ります。

松尾芭蕉1644–1694

月日は永遠の旅人であり、行き交う年もまた旅人である。
— 松尾芭蕉『おくのほそ道』冒頭

時間時間の側を旅人と見立てています。過ぎゆくものと並んで歩く感覚を与えてくれます。

昔の人の足跡を追うのではなく、昔の人が求めたものを求めよ。
— 松尾芭蕉『許六離別詞(柴門の辞)』

学ぶこと形をまねるのではなく志を継ぐ。模倣から自分の道へ移る過程の言葉として読めます。

松のことは松に習え、竹のことは竹に習え。
— 松尾芭蕉服部土芳『三冊子』

ものの見方自分の考えを当てはめず、対象そのものに寄る構え。観察の姿勢として今も通じます。

良寛1758–1831

災難に遭う時節には災難に遭うのがよく、死ぬ時節には死ぬのがよい。これが災難を逃れる妙法です。
— 良寛山田杜皋宛書簡(1828年)

受けとめる地震の見舞いへの返信です。避けられない事実と争わないという、静かな受けとめ方です。

貝原益軒1630–1714

心は楽しませるべきで、苦しめてはならない。体は働かせるべきで、休ませすぎてはならない。
— 貝原益軒『養生訓』総論

健やかさ心と体を別々にせず、両方の加減を説きます。生活全体で整えるという発想の先例です。

内村鑑三1861–1930

だれにでも遺せる後世への最大遺物は、勇ましく高尚な生涯である。
— 内村鑑三『後世への最大遺物』

遺すもの業績ではなく生き方そのものを遺すものと見ます。意味の感覚を考える手がかりになります。

正岡子規1867–1902

悟りとは、どんなときでも平気で死ぬことだと思っていたのは間違いで、どんなときでも平気で生きていることだった。
— 正岡子規『病牀六尺』

受けとめる病床で書かれた一節です。特別な境地ではなく、日々を続けることに軸を移しています。

病牀六尺、これがわたしの世界である。
— 正岡子規『病牀六尺』

いまここ限られた範囲を「わたしの世界」と言い切ります。狭さの中で見つける豊かさの記録です。

宮沢賢治1896–1933

世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。
— 宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

つながり幸福を個人の内側だけで完結させない見方。関係やコミュニティを重く見る立場と重なります。

正しく強く生きるとは、銀河系を自らのうちに意識し、これに応じて行くことである。
— 宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

意味自分より大きなものとのつながりを生き方の中心に置いています。意味の感覚の一つの形です。

ほんとうのさいわいは、いったい何だろう。
— 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

幸福とは答えではなく問いのまま置かれています。幸福を定義しきらない態度に学ぶところがあります。

プラトン前427頃–前347

富から徳が生まれるのではない。徳から、富もその他の善いものも生まれる。
— プラトン『ソクラテスの弁明』30b

人としての土台順序を逆にして示した一節。何を土台に置くかという問いは、今日の価値観の話にも通じます。

エピクロス前341–前270

わたしたちがいるあいだ死はなく、死があるときにはわたしたちはいない。
— エピクロス『メノイケウス宛書簡』

不安との付き合い恐れの対象を分解して見せる論法。不安を言葉にして眺める方法の古い例と言えます。

若いからと哲学を先延ばしにせず、老いたからと哲学に疲れてはならない。
— エピクロス『メノイケウス宛書簡』

学ぶこと心を整える営みに年齢の適期はないという立場。生涯にわたる学びの考え方に近いものです。

知恵が生涯の幸福のために用意するもののうち、はるかに最大のものは友情である。
— エピクロス『主要教説』第27

つながり快の哲学者が最上に置いたのが友情でした。関係の質を重んじる研究とも響き合います。

ヘラクレイトス前540頃–前480頃

同じ川に、二度入ることはできない。
— ヘラクレイトス断片91

移ろい同じ状況は二度と来ないという見方。変化を前提にすると、固執がすこし緩みます。

人にとって、その人柄こそが運命である。

ἦθος ἀνθρώπῳ δαίμων

— ヘラクレイトス断片119

習慣外の運より日々のあり方に目を向けます。性格を育てうるものと見る立場と重なります。

ソフォクレス前497頃–前406頃

不思議なものは多いが、人間より不思議なものはない。
— ソフォクレス『アンティゴネ』

人間観人を賛美とも警戒ともつかない目で描きます。良い面だけを見ない姿勢の古い例です。

ホラティウス前65–前8

今日という日を摘みとれ。明日をあてにしすぎることなく。

carpe diem, quam minimum credula postero

— ホラティウス『歌集』第1巻11歌

いまここ未来へ預けすぎないための言葉。今この時間を味わうという実践に引かれてきました。

黄金の中庸を選ぶ人は、荒れた屋根の下も、羨まれる宮殿も避けて安らかである。

auream quisquis mediocritatem diligit

— ホラティウス『歌集』第2巻10歌

節度極端を離れた位置に穏やかさを見ます。強みも度を越せば裏返るという議論に通じます。

オウィディウス前43–17

しずくは、絶え間なく落ちることで石を穿つ。

gutta cavat lapidem

— オウィディウス『黒海からの手紙』第4巻10歌

続けること一回の強さではなく回数に注目します。小さな行動を積む設計の考え方と重なります。

プルタルコス46頃–120頃

心は、満たされるべき器ではなく、火をつけられるべき薪である。
— プルタルコス『モラリア』「聞くことについて」

学ぶこと学びを注入ではなく着火と見ています。内から動きだす関心を重んじる立場に通じます。

アウグスティヌス354–430

あなたはわたしたちをご自身に向けて造られた。心はあなたのうちに憩うまで安らがない。
— アウグスティヌス『告白』第1巻1章

意味落ち着かなさを欠陥でなく方向のしるしと見ます。意味を探す動きの古い描写です。

時間とは何か。誰も尋ねなければ知っているが、尋ねられて説明しようとすると知らない。
— アウグスティヌス『告白』第11巻14章

時間当たり前のものほど言葉にしにくいという指摘。幸福を語るときにも起こることです。

トマス・ア・ケンピス1380頃–1471

自分をよく知る人は、自分の目に自分を高く見積もらない。
— トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』第1巻2章

自己理解謙虚さを自己否定ではなく正確さとして描きます。自分をありのままに見る話に近いです。

ダンテ1265–1321

人生の道の半ばで、わたしは正しい道を見失い、暗い森の中にいた。

Nel mezzo del cammin di nostra vita

— ダンテ『神曲』地獄篇第1歌

迷い物語は迷いから始まります。行き詰まりを終わりではなく出発点として置いた例です。

太陽とほかの星々を動かす愛。

l'amor che move il sole e l'altre stelle

— ダンテ『神曲』天国篇第33歌

つながり長い旅の最後の一行です。つながりを世界の側にまで広げて描いた締めくくりです。

シェイクスピア1564–1616

ものごとに良いも悪いもない。考え方がそうさせるのだ。

there is nothing either good or bad, but thinking makes it so

— シェイクスピア『ハムレット』第2幕第2場

ものの見方出来事と解釈を切り分ける台詞。ただし苦しさを軽く見る言い訳にはしない読み方が要ります。

何よりも、おのれ自身に忠実であれ。そうすれば、誰に対しても偽ることはない。

to thine own self be true

— シェイクスピア『ハムレット』第1幕第3場

自分らしさ自分に嘘をつかないことを関係の土台に置いています。誠実な自己表現の話とも重なります。

悲しみに言葉を与えよ。語られない嘆きは、張りつめた心にささやいて、それを裂く。

Give sorrow words

— シェイクスピア『マクベス』第4幕第3場

感情つらさを言葉にすることの意味に触れています。感情を抑え込まない立場と重なります。

フランシス・ベーコン1561–1626

読書は充実した人をつくり、対話は機敏な人をつくり、書くことは正確な人をつくる。

Reading maketh a full man; conference a ready man; and writing an exact man.

— フランシス・ベーコン『随筆集』「学問について」

学ぶこと読む・話す・書くを別の効き目として並べます。学び方を組み合わせる発想の先例です。

デカルト1596–1650

世界の秩序を変えるよりも、自分の欲望を変えるように努めること。
— デカルト『方法序説』第3部

分けて考える変えられる範囲を見きわめる指針。ただし理不尽をすべて呑む話ではない、と読めます。

スピノザ1632–1677

受け身の感情は、それについて明晰な観念をつくった途端に、受け身であることをやめる。
— スピノザ『エチカ』第5部定理3

感情感情を消すのではなく理解するという道筋。感情に名前をつける実践と重なって見えます。

自由な人は死について考えることが最も少なく、その知恵は死ではなく生についての省察である。
— スピノザ『エチカ』第4部定理67

生きること避けることより、何を育てるかへ視線を移します。欠点補正だけに寄らない発想に通じます。

すべて価値あるものは、稀であるとともに困難である。

omnia praeclara tam difficilia quam rara sunt

— スピノザ『エチカ』第5部末尾

続けること難しさを失敗の証拠にしないための一文。時間のかかる取り組みを支える見方です。

ヒューム1711–1776

理性は情念の奴隷であり、またそうあるべきである。

Reason is, and ought only to be the slave of the passions.

— ヒューム『人性論』第2巻

感情感情を判断の邪魔者としない挑発的な一文。感情の役割を見直す議論の遠い源流です。

ルソー1712–1778

人間は自由なものとして生まれた。しかし、いたるところで鎖につながれている。
— ルソー『社会契約論』第1篇

自立自由を当然ではなく回復すべきものとして置きます。選べる余地を問い直す言葉です。

生きるとは呼吸することではない。行動することだ。

Vivre, ce n'est pas respirer, c'est agir.

— ルソー『エミール』第1篇

行動する生を働きとして捉える見方。活動の中に幸福を見る古典の系譜に連なります。

カント1724–1804

わが上なる星空と、わが内なる道徳法則。この二つは、思うほどに新たな感嘆で心を満たす。
— カント『実践理性批判』結語

人間観外の広さと内の秩序を並べて驚きます。畏敬の感情の描写としてしばしば引かれます。

啓蒙とは、人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。あえて知ろうとせよ。

Sapere aude!

— カント『啓蒙とは何か』

自立自分の頭で考える勇気を求めます。自分で決める感覚を重んじる議論とも重なります。

人間性を、つねに同時に目的として扱い、決して手段としてのみ扱わないように行為せよ。
— カント『人倫の形而上学の基礎づけ』

人としての土台人を道具にしないという原則。誰もが大切にされているという感覚の土台にあたります。

ショーペンハウアー1788–1860

人間の幸福を左右する最大の要素は、その人が何を持つかではなく、その人が何であるかである。
— ショーペンハウアー『幸福について(余禄と補遺)』

幸福とは所有より人柄に重心を置きます。強みや性格に注目する現代の議論と重なるところがあります。

キルケゴール1813–1855

人生は後ろ向きにしか理解できない。しかし、前を向いてしか生きられない。
— キルケゴール『日記』1843年

ふりかえるわからないまま進むしかない事情を認めます。振り返りと前進を切り離さない見方です。

J.S.ミル1806–1873

自分は幸福かと問うてみれば、そのとたんに幸福でなくなる。

Ask yourself whether you are happy, and you cease to be so.

— J.S.ミル『自伝』第5章

幸福とは幸福を直接ねらうと逃げるという観察。何かに没頭する道が語られる理由と重なります。

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。
— J.S.ミル『功利主義』第2章

幸福とは快の量だけでは測れない質があるという主張。快と充実を分けて考える議論の源流です。

人間の本性は、型どおりに作られる機械ではなく、育とうとする木のようなものである。
— J.S.ミル『自由論』第3章

育つこと人を組み立て物ではなく生きものと見ます。伸びる余地を前提にする考え方に通じます。

ホイットマン1819–1892

問い。おお、わたしよ、生命よ。答え。おまえがここにいること、おまえも一行を寄せうること。

That you are here—that life exists and identity

— ホイットマン詩『おお わたしよ! 生命よ!』

意味意味を成果ではなく参加そのものに見ます。存在していることを起点にした答えです。

エミリー・ディキンソン1830–1886

希望とは羽根をもつもの。魂にとまって、言葉のない調べをうたい、やむことがない。

Hope is the thing with feathers

— エミリー・ディキンソン詩『希望は羽根をもつもの』

希望希望を意気込みではなく、静かに居続けるものとして描きます。細く長い支えの像です。

もしわたしが、ひとつの心の張り裂けるのを止められるなら、わたしは無駄に生きたのではない。

If I can stop one heart from breaking, I shall not live in vain

— エミリー・ディキンソン詩『もしわたしが』

思いやり意味の大きさを、他者への小さな働きかけで測ります。役立ち感の話として読めます。

ジョージ・エリオット1819–1880

世の中がだんだん善くなっているのは、歴史に残らない行いによるところが半ばある。
— ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』フィナーレ

意味記録されない行為に価値を置きます。小さな親切の積み重ねを見直す手がかりになります。

平凡な人生のすべてを鋭く感じ取れたら、草の伸びる音や栗鼠の心臓の鼓動が聞こえるだろう。
— ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』第20章

味わう感じ取る力の限界と可能性を同時に語ります。日常を細かく味わう実践に通じる一節です。

ドストエフスキー1821–1881

行動の愛は、空想の中の愛にくらべて、はるかに厳しく、おそろしいものだ。
— ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』ゾシマ長老の言葉

人との関わり理想としての優しさと、実際に手を動かす優しさを区別します。実践の難しさを認めています。

チェーホフ1860–1904

わたしたちは生きていきましょう。長い日々を、長い夜を生きぬきましょう。
— チェーホフ『ワーニャ伯父さん』第4幕

立て直す救いを約束せず、続けることだけを言う終幕。安易な励ましを避けた言葉として読めます。

リルケ1875–1926

問いそのものを愛するようにしてください。いつか答えの中に生きている日が来るでしょう。
— リルケ『若き詩人への手紙』第4の手紙

受けとめる答えが出ない時期を無駄と見ません。宙ぶらりんに耐える力を支える言葉として読めます。

困難であるということこそ、わたしたちがそれを手放さない理由でなければならない。
— リルケ『若き詩人への手紙』第7の手紙

続けること難しさを続ける理由に読み替えます。ただし無理を強いる根拠にはしない読み方が要ります。

ウィリアム・モリス1834–1896

役に立つと知らないもの、美しいと信じられないものを、家の中に置いてはならない。

Have nothing in your houses that you do not know to be useful, or believe to be beautiful.

— ウィリアム・モリス講演『生活の美』

節度環境を整えることを生活の質の一部と見ます。周りを選ぶという小さな実践の話です。

ジョン・ラスキン1819–1900

生命のほかに、富と呼べるものはない。

There is no wealth but life.

— ジョン・ラスキン『この最後の者にも』

幸福とは豊かさの尺度を金額から生命へ移します。経済指標とは別の物差しを求める議論に通じます。

ナイチンゲール1820–1910

看護とは、生命力の消耗が最も少なくなるように、生活のすべてを整えることである。
— ナイチンゲール『看護覚え書』

支えること治すことより条件を整えることに焦点を置きます。環境を通した支援の考え方の先例です。

ウィリアム・オスラー1849–1919

今日という区切りの中で生きよ。過去と未来を締め切って、その日の仕事に取り組むこと。

live in day-tight compartments

— ウィリアム・オスラー講演『生き方』

いまここ医学生に向けた実務的な助言です。心配の範囲を今日に絞る工夫として読めます。